ジャガー・ルクルトの歴史(JAEGER LECOULTRE) |
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数々の特許技術と傑作ムーブメントを
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美しさと革新性を併せ持つ比類なきグランド・メゾン 創業175年を超える伝統のなかで数々の輝かしい功績を残してきたジャガー・ルクルト。その歴史は、1833年にアントワーヌ・ルクルトがスイスのル・サンティエに開いた工房から始まった。 創業者のアントワーヌ・ルクルトは、時計の製作に必要な工具まで開発する才気あふれた職人だった。彼の手がけた工具のなかでも、ミクロン単位で計測できる「ミリオノメーター」は、その後の部品製作の精度向上に大きく貢献。1951年にロンドンで開催された第1回万国博覧会では、精密機械分野での業績が認められ、金賞を受賞している。さらに2代目のエリー・ルクルトにより、ジュウ渓谷最大の一貫生産工場(マニュファクチュール)へと成長する。 エドモンド・ジャガーとの出会いは、1903年。彼が極薄ムーブをルクルト社に発注したとき、この難題に挑んだのが創業者の孫ジャック・ダヴィド・ルクルト。その真摯な姿勢に感銘を受け、ふたりに深い友情が芽生える。美的感覚に優れたジャガーと共に完成させた1.38mm厚のムーブによる世界一薄いポケットウォッチは、後のジャガー・ルクルト社の出発点となった。ふたりの持つ技術とセンスの融合は、すぐに次々と開発される優れた腕時計となって現れる。1931年に誕生したレベルソが、それだ。ポロの競技中に風防が割れる事故を防ぐために考案された反転ケースは、いつしかアールデコ時代を象徴する時計として不動の人気を獲得。現在も世界中で愛される名作となった。その後もジャガー・ルクルト社は、リューズを持たないフューチャーマティック(53年)や世界初の自動巻きアラーム時計メモボックス(56年)などを開発。数々の特許技術を考案しながら、時計界を牽引し続けてきた。 現在のジャガー・ルクルト社のラインナップは、レベルソを筆頭にマスター・コントロール、マスター・コンプレッサー、デュオメトル、AMVOX、そしてジャイロトュールビヨン 1、レベルソ・ジャイロトュールビヨン 2などの超複雑系モデル。そこに2009年からは、マスター・グランド・トラディションが加わった。2つの伝統的な複雑機構を、最先端の技術を用いて融合させた新コレクションは、まさにマニュファクチュールとしての歴史を重ねてきたからこそなせる技だといえよう。またジャガー・ルクルトは、徹底した品質管理でも有名だ。出荷前の完成品には、6週間に及ぶ独自の「1000時間コントロールテスト」を実施。精度、回転・停止、防水、耐磁、温度差、耐衝撃性など、極めて厳しい基準をパスして初めて同社の製品となるのだ。さらにマスター・グランド・トラディションからは新たな品質検査「1000時間クロノテスト」が行われている(YGモデルのみ)。「グランド・メゾン」ジャガー・ルクルト。同社の時代の先を見据えた開発は、創業175年以上経ったいまも変わることがない。 |
― ジャガー・ルクルトの歴史(JAEGER LECOULTRE)―
1833 | アントワーヌ・ルクルトが時計工房を設立 |
1844 | 1000分の1㎜単位の計測を初めて可能にした計測器ミリオノメーターを開発 |
1847 | 世界で初めて切り替え式リューズ巻きムーブメントを開発 |
1851 | ロンドンで開発された第1回万博博覧会で、精密機器分野での業績が認められ金賞を受賞 |
1866 | 自宅で仕事を行っていた時計職人を集め、時計工房を整備して自社一貫生産へと変えた |
1903 | エドモンド・ジャガーとジャック・ダヴィド・ルクルトが初めて出会う |
1928 | 空気の湿度変化をエネルギーに代えて作動する永久置き時計アトモスを開発 |
1929 | 世界最小(14×4.8×厚3.4㎜)の手巻きムーブメントCal.101 を発表 |
1931 | 初代レベルソの反転ケースで特許を取得 |
1937 | ジャガー・ルクルトへと社名変更 |
1953 | 初めてのリューズなしの自動巻き時計、フーチャーマティックを製造 |
1956 | 自動巻きアラーム時計、メモボックスを発表 |
1991 | レベルソ60周年記念モデルを発表 |
2004 | 球形トゥールビヨン、ジャイロトゥールビヨンⅠの発表で世界を驚愕させる |
2006 | レベルソ75周年を機に、レベルソの新ライン、レベルソ・スクアドラを発表 |
2007 | 革新の新作、デュオメトル・クロノグラフを発表 |
2008 | 創業175周年を迎え、記念モデルを発表 |
2009 | 伝統と革新が融合した新シリーズ、マスター・グランド・トラディションを発表 |
オメガの歴史(OMEGA) |
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比類なき精度と耐久性により深海から宇宙まで制す
― オメガの歴史(OMEGA)―
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パネライの歴史(PANERAI) |
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創業時から続く本格的なスペックは
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時代の最先端を進む「伝説の時計」 時計界における唯一無二の存在として、デザイン、機能ともに着実な人家を続けるイタリア発祥のブランド、パネライ。その歴史は、1860年、ジョヴァンニ・パネライがフィレンツェで開業した「パネライと経典」から始まる。同店は、輸入時計の販売や修理を行う一方、照準機など光学機器類も製作していた。第1次世界大戦時には、夜間に軍隊の大砲を発射するのに必要な発光機や計時装置、水深計など、多彩な精密機器をイタリア海軍に納品。これらの機器には、パネライが1915年に特許を取得した自発光物質「ラジオミール」が使われていた。 暗闇での作業に必要な機器の製造技術に長けたパネライは、1935年に創設されたイタリア海軍の泉水攻撃部隊のため、新たなダイバーズウォッチを製作する。当時のイタリア海軍が得意としていたのは、泉水攻撃艇S.L.Cに工作員がまたがり、敵船を爆破する奇襲作戦。そのため、懐中の暗闇でも時間を確認できる新たな防水時計はどうしても必要だったのだ。 1936年のプロトタイプを経て、世界初の軍用ダイバーズウォッチ、ラジオミール47mmが完成したのは1938年。極めて高い精度と防水性を誇ったこの時計を着用したイタリア海軍の工作員は、重要な作戦の数々を成功させた。その一方で時計が市販化されることはなく、製造も開発初期から冷戦時代までの軍用モデルに限定。パネライのぞんざいは軍事機密扱いであり、伝説の時計となる。 パネライの名が再び世に現れたのは、1993年。欧州の時計ファンの支持に応える形で市販モデルが販売されたのだ。その後、1997年にヴァンドーム(現リシュモン)ブループの加わると、グローバルな展開を開始。その第一弾となったのは、ルミノールの「ベース」と「マリーナ」だった。いずれも初代モデルを彷彿とさせるデザインでありながら、現代的に洗練されたスタイリングに、世界中のトレンドセッターが注目。瞬く間に高級時計ブランドとしての地位を確立していった。 2002年からはマニファトゥーラ(自社一貫生産)体制を整えた本社工場をヌーシャテルに建造。2005年には、初の完全自社ムーブを限定モデルに搭載して発表する。その後も着実に新作を発表し、2008年にはP.2000番台の自社製ムーブを搭載したマニファトゥーラ・コレクションが一挙に5モデルも誕生。そして2009年にもキャリバーP.9000の開発により、6本の新作を加えている。かつて伝説だったブランドは、いまや第一線で発展を続ける一大メゾンへと発展を遂げた。その実力を支えているのは、精密機器を製作していた創業時から受け継がれる優れた技術力と、素材への徹底したこだわりという、イタリアンブランドならではの職人気質にほかならない。 |
― パネライの歴史(PANERAI)―
1860 | ジョヴァンニ・パネライがイタリア・フィレンツェに時計工房を兼ねた高級時計店を開業 |
19世紀末 | イタリアでいち早く時計の通販を開始 |
1915 | 新しい蛍光物質ラジオミールの開発に成功。以前から取引のあったイタリア海軍納入業者としての地位を不動のものにする |
1938 | 歴史上初めて軍用ダイバーズの開発に成功。ロレックス製のムーブを使用し、ワイヤーループ式のベルトアタッチメントを備えたラジオミール47mが誕生した |
1940 | ワイヤーループ式をケース一体型構造に改良。蛍光物質により、暗闇でもはっきり時間を読み取ることができる技術を開発 |
1943 | マーレ・ノストゥルム・クロノグラフの開発に成功。甲板将校用に考案され、プロトタイプが開発される |
1950年代 | 新たな蛍光物質ルミノールの特許を取得 |
1956 | エジプト海軍の要請により、パネライラジオミールを開発。回転ベゼルを備え、大きくデザインが変更された |
1980 | チタン製1000m防水ダイバーズウォッチのプロトタイプを開発 |
1993 | ルミノール、ルミノール マリーナ、マーレ・ノストゥルムを初の民間市場向けとして発表 |
1997 | リシュモングループに参加することで、翌年からグローバル市場に進出する |
2002 | スイスのヌーシャテルに新工場を設立 |
2005 | 上海、ロサンゼルスに直営ブティックを開店 |
2006 | パネライ初の自社開発ムーブCal.2002搭載のルミノール1950 エイトデイズGMT発売 |
2007 | 新たに3つの自社ムーブメントを一挙に発表 |
2008 | 技術的成果が、マニファトゥーラ・コレクションの新作5本や、新ブレスとして結実 |
2009 | 新開発の自社ムーブCal.9000により、マニファトゥーラ・コレクションのラインナップがさらに充実 |
パテック フィリップの歴史(PATEK PHILIPPE) |
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革新的な機構開発と徹底した品質管理で築いた王者の地位
― パテック フィリップの歴史(PATEK PHILIPPE)―
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タグ・ホイヤーの歴史(TAG HEUER) |
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独自の機構開発で「時計」と「計時」の新たな可能性を創造
― タグ・ホイヤーの歴史(TAG HEUER)―
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ロレックスの歴史(ROLEX) |
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オイスター、パーペチャル、デイトジャスト
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1927年、着けて海で泳げる腕時計の存在に世界が驚いた 創造的で、どの国でも発音しやすく、文字盤にデザインしやすいブランド名・・。1908年、世界市場を視野に入れてハンス・ウィルスドルフが発案した名前が「ロレックス」だった。その3年前、時計のセールスマンだった彼がロンドンで創設した時計販売会社は、やがてこのブランド名とともに世界市場を席巻することになる。 ロレックスが最初に世界に名を馳せたのは、1927年のこと。ドーバー海峡を泳ぎ切ったメルセデス・グライツ嬢が腕にしていたのが、ロレックスのオイスターウォッチだった。金属の塊をくり抜いたケースにねじ込み式の裏ブタとリューズを組み合わせ、高い防水性と耐久性を実現。海で泳げる腕時計として世界に衝撃を与えた。というのも、当時は懐中時計が中心で、誰もが腕時計の将来性に疑問を持っていた時代。当時の腕時計は埃や湿気に弱く、物理的衝撃で破損することも多かったのである。そこでウィルスドルフは、確かな耐久性と機能性を備えた実用品としての時計つくりを目指し、商品開発に着手したのだった。 オイスター成功の後も、一貫して実用時計としての機能向上を追求。1931年には全回転式ローターの自動巻き上げ機構=パーペチュアル、1945年には午前0時ごろ瞬時に日付が変わるデイトジャストと、次々に画期的機構を発表し、世界に名だたる実用時計メーカーへと成長した。1950年代からは新製品開発の猛ラッシュ。ロレックスで初めて回転ベゼルを搭載したターノグラフを皮切りに、その発展型ともいえるダイバーズウォッチ、サブマリーナーが誕生。探険家ユースとされたエクスプローラー、航空時仕様のGMTマスター、1961年にコスモグラフ デイトナと立て続けにヒット作を連発した。天文台コンクールを舞台に、オメガと熾烈な精度競争を繰り広げたのも1960年代のこと。 オイスターケースで特許を取得していることもあって、防水性で他社に負けるわけにいかないロレックスは、1960年、無謀ともいうべき実験を行った。深海潜水艇「トリエステ号」の外側に、球体ガラスを装備した特殊オイスター「ディープシー・スペシャル」を取り付け、1万916mの潜水に挑戦したのである。驚くべきことに深海探査を終えたこのオイスターは、ケースやムーブメントに何らトラブルがなかったという。サブマリーナーよりも、ひと回り分厚くて堅牢なケースを持つシードゥエラーは、1971年に誕生した。このプロユースモデルを腕に、フランスの海洋探査会社コメックスのダイバーたちが、水深326mの飽和潜水記録を樹立したのは、1975年のことだった。 2007年はミルガウスが復刻され、新シリーズのヨットマスターⅡが誕生。そしてブランド誕生100周年の2008年、シードゥエラーを一新し、「ディープシー」の名を復活させた。まるで、防水技術に関しては誰にも負けられない、と宣言するかのように。 |
― ロレックスの歴史(ROLEX)―
1905 | ロンドンのハットン・ガーデン83番地に”ウィルスドルフ&デイビス社”を設立 |
1908 | スイスのラ・ショー・ド・フォンで”ROLEX”を商標登録する |
1926 | オイスターケースの特許を取得 |
1927 | メルセデス・グライツ嬢がオイスターを腕に、ドーバー海峡を泳いで横断する |
1929 | ドクターウォッチ、プリンスを発売開始 |
1931 | 全回転式ローターを搭載した自動巻き機構パーペチュアルを開発 |
1945 | 午前0時頃、瞬時に日付が変わるデイトジャスト機構が誕生 |
1953 | 英国のエドモンド・ヒラリー郷が、エクスプローラー(Ⅰ)を腕にエベレスト登頂に成功。同年、サブマリーナーとともに発売される |
1956 | デイデイト発売 |
1957 | パイロット時計GMTマスター(Ⅰ)を発表 |
1960 | 潜水艇トリエステ号とともに特殊オイスターが深海1万916mへ。この年、創設者ハンス・ウィルスドルフ死去。享年79歳だった |
1961 | オイスターコスモグラフデイトナ発売 |
1971 | 610m防水のシードゥエラーが登場する |
1978 | ロレックス初のオイスタークオーツ誕生 |
1983 | 単独で短針が動かせるGMTマスターⅡ誕生 |
1988 | 自動巻きデイトナ、Ref.16520が登場 |
1991 | 1988年のエクスプローラーⅠ、Ref.1016の生産中止から3年後、Ref.14270が誕生 |
1992 | 新スポーツライン、ヨットマスターが登場 |
2000 | 現行デイトナ、Ref.116520が日本上陸 |
2001 | エクスプローラーⅠの新型Ref.114270登場 |
2003 | サブマリーナー50周年記念モデル発売 |
2004 | デイトジャストターノグラフ発表 |
2005 | グリーンダイアルのGMTマスター50周年記念モデルとプリンスが復活を遂げる |
2006 | グリーン針GMTのコンビ仕様が登場 |
2007 | ミルガウスが復刻。ヨットマスターⅡ誕生 |
2008 | シードゥエラーが新してディープシーに |
ゼニスの歴史(ZENITH) |
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高度な技術力から産まれた傑作エル・プリメロに
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マニュファクチュールとして世界に示してきた高い技術力 ”ゼニス”とは、時を計るのに不可欠な「天頂」を意味する。スイスのル・ロックルにあるゼニス工場は、夜になるとまさに満天の星空。その輝きのように、ゼニスは多彩で個性的なコレクションを携え、時計界の頂点を目指してきた。時計の心臓部に当たるムーブから一貫して自社で生産を手掛けるメーカーを、マニュファクチュールと呼ぶ。この一貫生産システムを築いたのは、創業者のジョルジュ・ファーブル・ジャコ。1865年、22歳の若さでスイスのル・ロックルに時計工房を設立した彼は、時計が一般の人々に普及することを予想し、いち早くこのシステムを作り上げた。大成功を収めたゼニスは世界各国に販路を広げ、数々のコンテストでも優秀な成績を残す。そして1969年、衝撃的な新製品を発表した。それが「エル・プリメロ」である。一般的にテンプの振動は高速であるほど、精度を突き詰めるのに有利といわれているが、エル・プリメロは毎時3万6000振動に到達。7年あまりの歳月をかけて、耐久性の問題もクリアした。エスペラント語で、”ナンバー1”を意味するこのエル・プリメロで、不動の名声を手にしたのである。 1970年代半ば、クオーツの台頭を受けて一度は生産中止となったが、1980年代に機械式時計が見直されると、この名機も復活。以後、ゼニスはエル・プリメロを軸に次々と傑作を発表する。大きな転換期を迎えたのは、20世紀に入ってからのこと。LVMHグループへの移行に合わせて、ラインナップ全体に高級化が図られたのだ。エル・プリメロ自体のバリエも増え、ティエリー・ナタフCEOの手腕も冴え渡った。徹底的にデザイン性と仕上げを追求した結果、たとえばクロノマスターには5000もの工程が必要となり、20人の職人で9か月かかるという。手作業で取り付けたインデックスや、丁寧に面取りした日付表示などの小窓を見れば、熟練職人がいかに細部まで完璧を期しているか、作り手の熱い思いが伝わってくるはずだ。新生ゼニスはこれまで同様のパワフルなムーブに加え、”高品位”という新たな強みも手に入れたのである。 シースルーバックだけでなく、腕に着けたまま文字盤からも毎時3万6000振動のテンプの動きを楽しめる”オープン”の世界的な成功に続いて、2006年には究極のスポーツライン”デファイ”を発表。グラマラスなボディに、スクリューヘッドの回転ベゼル、力強いブレスと相まって、強烈な存在感を発揮する。それでいてエレガントさも忘れてはいない。2008年にはシックなブルーを基調とした新ライン ”シー”を発表してデファイのモダンな一面を押し進める一方、ムーンフェイズ搭載モデルやニューヴィンテージ1955などの秀作による”回帰”の動きも目立つ。「天頂」を目指してきた140年を超える歴史と、持ち前の繊細なエレガンスが、ゼニスの魅力を大きくまた一歩、前へ押し出した。 |
― ゼニスの歴史(ZENITH)―
1865 | ジョルジュ・ファーブル・ファコがスイスのル・ロックルに前身のマニュファクチュール・ド・モントル社を設立。現在も同地で操業 |
1875 | ゼニスの工房が、ル・ロックル人工の3分の1を雇うほどに成長。懐中時計、振り子時計、天体振り子時計、船舶計器を製造 |
1896 | スイス国内博覧会で金メダル受賞 |
1900 | 新型リューズ巻きムーブ、ゼニスを開発。同年、フランスのパリで開催された万国博覧会で同社の懐中時計が金賞を受賞 |
1911 | 社名をファブリック・デ・モントル・ゼニス社に変更。創業者ジャコが夜の散歩中に天空を見つめながら、時を計るのに不可能なもの「天頂(=ゼニス)」をブランドの象徴にした |
1920 | 200万個もの時計を製造。以後、ジュネーブ、モスクワ、パリ、ウィーン、ニューヨークに次々と支店を構えていった |
1945 | ヌシャテル天文台のコンテストでキャリバー135が精度記録を塗り替える |
1948 | ゼニス初の自動巻きムーブメントを開発 |
1969 | 自動巻きクロノグラフ・ムーブメント、エル・プリメロ開発 |
1970年代 | クオーツ台頭で、エル・プリメロが生産中止 |
1981 | エル・プリメロの生産が再開される |
1986 | エル・プリメロ搭載モデルが発表される |
1994 | 薄型の自動巻きムーブメント、エリート誕生 |
1997 | フランス空軍の協力により、レインボー・フライバックが開発される |
1999 | LVMHグループに加わる |
2003 | 文字盤からエル・プリメロの動きが見られるグランド クロノマスターーXXT・オープンを発表。世界的な人気を獲得する |
2004 | オープンにスモールサイズ、トゥールビヨン、レディス版が加わり、ラインナップを強化 |
2006 | スポーティシックな新ライン、デッファイ誕生 |
2008 | デファイ、オープンほか多数の新バリエ発表 |
ボーム&メルシエの歴史(BAUME&MERCIER) |
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時計界4番目に長い歴史を受け継ぎ 最高品質の時計を作り続けて180年
― ボーム&メルシエの歴史(BAUME&MERCIER)―
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オーデマピゲの歴史 (AUDEMARS PIGUET) |
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ふたりの時計師から受け継いだ「奇跡の手」が常に一歩先のクォリティを生み出す
― オーデマピゲの歴史 (AUDEMARS PIGUET)―
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ブライトリングの歴史(BREITLING) |
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創業125周年の節目を迎えて新たなブランドの歴史が始まる
― ブライトリングの歴史(BREITLING)―
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